2009年 10月 02日
自分の家ではない僕の家 |
山梨に来てずっと下請けの仕事をいただいていた僕は
横浜にいたときのように自分が元請けになって住宅をプロデュースする
とは思ってもいませんでした。親方の後押しもなければ信用もない僕に
新築工事を任されても材料の購入さえままならないのにどうして請け負うことが
出来ましょう。
ご紹介をいただいてリフォーム工事をさせていただいていたときに奥様の友人が
遊びに来ていて、奥さんが
「小田切君、友達なんだけどね、家建てたいのだって。お父さんがけっこう頑固な人で
営業さんが皆追い返されちゃうみたい。話だけでもきいてあげて。」
と言われましたのでもう喜んで
「是非よろしくお願いいたします。」
と約束させていただき後日うかがいました。
言われた住所の家に伺うとお母さんと、奥様のご友人でいらっしゃる娘さん、
そして頑固な”お父さん” 挨拶してもむっすりと笑顔も見せず。怖・・・。
それもそのはず。体調を崩されるまでは不動産会社を経営されていたそうでした。
全部整理されて残りの財産で土地と建物をとのこと。
いろいろな話をしていても返事もせず・・・。何度か打ち合わせをさせていただくうちに
お母さんも娘さんもいないときに伺いました。
もうそのときは開き直りに入っていって一言も家の話をしませんでした。
お父さんの生い立ちのこと、仕事のこと、されてきた苦労、今後どうしたいのか
好きな食べ物、心配事、等普通の日常会話でしたが僕自身楽しかったのを今でも
思い出します。その日の帰り際「じゃあお父さん今度は気が向いたら建物の話しに
きます。」と挨拶したら初めてにっこり笑って
「おい、おだぎり。明日時間取れるか?俺な今日お前に話したようにいろんな病気
抱えていて今もっているこの金でかみさんと娘に家を残してあげたいんだ。だから
家を売る人間じゃなくて俺を思ってくれるやつに家を建ててもらいたい。頼むよ、棟梁」
そうおっしゃってくださいました。
それからものすごい勢いで打ち合わせをこなし僕自身山梨で初めて新築工事を
請け負わせていただきました。
ご契約いただいた日うかがうとお父さんが紙袋を持ってきたのでてっきりお菓子かと思い
ありがとうございますと受け取ると重さが変?
中身はなんと現金数千万円・・・びびる・・・。当時まだ20代後半の若造ですもの・・・。
お父さんいわく最初の取引は現金が一番!との事。もちろん丁重にお断りさせていただき
工事の進行状況に合わせて工事代金をお振込みいただきました。
お引渡しさせていただいて3年元気に過ごされておとうさんは旅たたれました。
いつも体調の良いときは外から自宅を眺めては近所の皆さんに
「俺んちスバらしい!」「俺んちの棟梁どうだ」と褒めてくださってくれていたようです。
お父さんのおかげで僕でも山梨で新築工事が出来るという信用をいただくことができる
ようになりました。
生前のお父さんはなぜかやはり気難しい人でしたが近所の人によるとどういうわけだか
僕には人に見せないような笑顔を見せてくれていたようです。
そんな家だから思い入れもひとしお。
自分の家ではないのにまるで自分の家のよう。
そして今日相変わらずたいした用事もないのにその”玉島さん”の家に行きました。
ぴんぽ~ン 「ただいま~」といつも変な挨拶の僕ですが必ずお母さんは
「おかえり~~~」と返事してくださいます。
生前いつも一番奥のソファでめったに笑わないお父さんも笑いながら
「おう、なんだ、なんだ。」と合いの手をうってくださいました。
山梨で若かった僕にチャンスをくださった。
実績もお金もない僕を信用してくださった。
お金のない僕が困らないように現金を準備くださった。
僕が年取ったときに若い子に同じことができるかなぁ?
いまは誰もいないソファにそっと手を合わせてお父さんに感謝です。
これからもずっと・・・。本当にありがとうございました。
あっ今日ちょっと気になるところがあったので調整しておきましたよ。お父さん。
横浜にいたときのように自分が元請けになって住宅をプロデュースする
とは思ってもいませんでした。親方の後押しもなければ信用もない僕に
新築工事を任されても材料の購入さえままならないのにどうして請け負うことが
出来ましょう。
ご紹介をいただいてリフォーム工事をさせていただいていたときに奥様の友人が
遊びに来ていて、奥さんが
「小田切君、友達なんだけどね、家建てたいのだって。お父さんがけっこう頑固な人で
営業さんが皆追い返されちゃうみたい。話だけでもきいてあげて。」
と言われましたのでもう喜んで
「是非よろしくお願いいたします。」
と約束させていただき後日うかがいました。
言われた住所の家に伺うとお母さんと、奥様のご友人でいらっしゃる娘さん、
そして頑固な”お父さん” 挨拶してもむっすりと笑顔も見せず。怖・・・。
それもそのはず。体調を崩されるまでは不動産会社を経営されていたそうでした。
全部整理されて残りの財産で土地と建物をとのこと。
いろいろな話をしていても返事もせず・・・。何度か打ち合わせをさせていただくうちに
お母さんも娘さんもいないときに伺いました。
もうそのときは開き直りに入っていって一言も家の話をしませんでした。
お父さんの生い立ちのこと、仕事のこと、されてきた苦労、今後どうしたいのか
好きな食べ物、心配事、等普通の日常会話でしたが僕自身楽しかったのを今でも
思い出します。その日の帰り際「じゃあお父さん今度は気が向いたら建物の話しに
きます。」と挨拶したら初めてにっこり笑って
「おい、おだぎり。明日時間取れるか?俺な今日お前に話したようにいろんな病気
抱えていて今もっているこの金でかみさんと娘に家を残してあげたいんだ。だから
家を売る人間じゃなくて俺を思ってくれるやつに家を建ててもらいたい。頼むよ、棟梁」
そうおっしゃってくださいました。
それからものすごい勢いで打ち合わせをこなし僕自身山梨で初めて新築工事を
請け負わせていただきました。
ご契約いただいた日うかがうとお父さんが紙袋を持ってきたのでてっきりお菓子かと思い
ありがとうございますと受け取ると重さが変?
中身はなんと現金数千万円・・・びびる・・・。当時まだ20代後半の若造ですもの・・・。
お父さんいわく最初の取引は現金が一番!との事。もちろん丁重にお断りさせていただき
工事の進行状況に合わせて工事代金をお振込みいただきました。
お引渡しさせていただいて3年元気に過ごされておとうさんは旅たたれました。
いつも体調の良いときは外から自宅を眺めては近所の皆さんに
「俺んちスバらしい!」「俺んちの棟梁どうだ」と褒めてくださってくれていたようです。
お父さんのおかげで僕でも山梨で新築工事が出来るという信用をいただくことができる
ようになりました。
生前のお父さんはなぜかやはり気難しい人でしたが近所の人によるとどういうわけだか
僕には人に見せないような笑顔を見せてくれていたようです。
そんな家だから思い入れもひとしお。
自分の家ではないのにまるで自分の家のよう。
そして今日相変わらずたいした用事もないのにその”玉島さん”の家に行きました。
ぴんぽ~ン 「ただいま~」といつも変な挨拶の僕ですが必ずお母さんは
「おかえり~~~」と返事してくださいます。
生前いつも一番奥のソファでめったに笑わないお父さんも笑いながら
「おう、なんだ、なんだ。」と合いの手をうってくださいました。
山梨で若かった僕にチャンスをくださった。
実績もお金もない僕を信用してくださった。
お金のない僕が困らないように現金を準備くださった。
僕が年取ったときに若い子に同じことができるかなぁ?
いまは誰もいないソファにそっと手を合わせてお父さんに感謝です。
これからもずっと・・・。本当にありがとうございました。
あっ今日ちょっと気になるところがあったので調整しておきましたよ。お父さん。
by kainotakumi
| 2009-10-02 22:53
| 建築